大判例

20世紀の現憲法下の裁判例を掲載しています。

大阪地方裁判所 平成2年(ワ)4609号 判決

原告

坂本勉

被告

株式会社高島屋工作所

右代表者代表取締役

松村文夫

右訴訟代理人弁護士

中山晴久

夏住要一郎

鳥山半六

主文

一  原告の請求を棄却する。

二  訴訟費用は原告の負担とする。

事実

第一当事者の求めた裁判

一  請求の趣旨

1  被告は、原告に対し、業務内容の変更、配置の転換等の具体的措置を提示し、協議を開始するまでの間、平成二年六月八日以降一日につき金六〇〇〇円を支払え。

2  訴訟費用は被告の負担とする。

3  仮執行宣言

二  請求の趣旨に対する答弁

主文と同旨

第二当事者の主張

一  請求原因

1  原告は、被告との間で労働契約を結び、現在、被告会社の家具販売事業部大阪販売部統括課に勤務している。

2  原告は、昭和六三年一一月ころから、右眼偽黄班円孔を原因とする視力の低下に悩まされ、現在も治療を継続している。

3  ところで、労働安全衛生法六六条七項は、「事業者は、健康診断の結果、労働者の健康を保持するため必要があると認めるときは、当該労働者の実情を考慮して、就業場所の変更、作業の転換、労働時間の短縮等の措置を講ずるほか、作業環境測定の実施、施設又は設備の設置又は整備その他の適切な措置を講じなければならない」旨を規定している。したがって、右法規が存在することにより、被告は、原告に対し、原、被告間に締結されている労働契約の内容として、業務内容の変更、配置の転換等の具体的措置を提示し、協議を開始する債務を負っており、原告は、被告に対し、右債務の履行を直接請求する権利がある。

4  原告は、平成二年五月三一日、被告に対し、自らの健康状態を理由に業務内容の変更、配置転換等の措置をなすよう申し入れ、同年六月八日ころ、被告の本社人事部長である炭山、同販売統括部長である森及び原告の三名で「面談」の場をもった。しかし、この場において、右炭山は、「販売統括部の中で、原告が適当と思われる業務を書面にして提出して欲しい」と発言するのみで、原告がこれに対し、「販売統括部の中に、現在自らが遂行している業務以外に自分に適当と思われる業務があるかどうかはよくわからない。会社の方で適当と思う業務を協議のため提示して欲しい」と述べたにもかかわらず、「会社の方から業務内容の変更や配置の転換について具体的提示はしない」と述べ、以後被告は、原告に対し、原告が本件訴訟で請求している業務内容の変更、配置転換等を具体的に提示しての協議の場を持たない。

5  よって、原告は、被告に対し、労働契約に基づき請求の趣旨記載の協議を求めるとともに、間接強制として平成二年六月八日以降被告が、右協議を開始するまでの間一日につき金六〇〇〇円の支払を求める。

二  請求原因に対する認否

1  請求原因1の事実は認める。

2  同2の事実は知らない。

3  同3のうち、労働安全衛生法上に原告が主張する規定が存在することは認めるが、原、被告間の労働契約上、被告が原告に対し、原告主張の債務を負担しているとの事実は否認する。

そもそも、労働安全衛生法の規定は、使用者に対する行政取締を目的としたものにすぎず、労働者に対し、同法所定の措置を求める労働契約上の権利を付与するものではない。

4  同4のうち、原告がその主張の申し出をなした事実及び被告が原告の申し出に応じて原告の業務内容の変更、配置転換をしていない事実は認める。

第三証拠(略)

理由

一  請求原因1の事実は当事者間に争いがなく、成立に争いがない(書証略)によれば、請求原因2の事実が認められる。

二  そこで、請求原因3について判断する。

原告は、労働安全衛生法六六条七項の規定が存在することから、直ちに、労働契約の内容として、被告に対し、右規定に従った行為をなすことを請求する権利を有している旨を主張する。

使用者は、労働契約に基づき労働者から労務提供を受けるにあたり、通常は当該労働者が勤務する時間、場所、方法、態様等を指示し、又は機械、器具を提供することを約している場合が多いのであるから、かかる場合、使用者としては、右具体的な労務指揮又は機械、器具の提供にあたって、右指示又は提供に内在する危険に因って労働者の生命及び健康に被害が発生することのないよう配慮する義務(以下、配慮義務という)があると解するのが相当である(これ自体は労働安全衛生法の規定を待つまでもない)。

しかし、右配慮義務は、労務の提供義務又は賃金の支払義務等労働契約における本来的履行義務とは異なり、あくまで労働契約に付随する義務であり、予めその内容を具体的に確定することが困難な義務であるから、労使間の合意その他の特段の事情のなき限り、労働者は、裁判上、使用者に対し、直接その義務の履行を請求することはできず、労働者に疾病の発生又はその増悪等の具体的結果が惹起した場合において始めて事後的にその義務の具体的内容及びその違反の有無が問題になるにすぎないものと解するのが相当である。

そこで、労働安全衛生法に原告が主張する規定が存在することが、右特段の事情すなわち付随的義務たる配慮義務の一態様である「使用者の業務内容の変更、配置の転換等の具体的措置を提示し、協議を開始すべき義務」を本来的履行義務にまで高めたものか否かにつき考えるに(なお、本件では、原、被告間でこれを直接請求できる旨の合意があったとの主張はない)、労働安全衛生法の規定一般についてはともかく、同法六六条七項は、その規定の仕方自体が、「事業主は、……労働者の健康を保持するため必要と認めるときは…」あるいは「労働者の実情を考慮して」等抽象的、概括的であるうえ、同条一項ないし三項あるいは六項と異なり、右規定に違反する事業主に罰則を課すことは予定されていないことからすると、右規定が存在することのみから、直ちに、その規定が使用者に命じた行為内容が、使用者の労働契約における本来的履行義務になったとまで認めるのは困難である。

したがって、被告が労働安全衛生法六六条七項の趣旨に従い一般的に原告の健康に配慮する義務を負っていることは認められるにしても、右債務は、前記意味で付随的債務にすぎないのであるから、これを根拠にその履行を直接請求する趣旨で提起された原告の本訴請求は理由がないものといわざるを得ない。

四  以上によれば、原告の本訴請求はその余の点につき判断するまでもなく理由がないから棄却し、訴訟費用の負担につき民訴法八九条を適用して、主文のとおり判決する。

(裁判官 野々上友之)

自由と民主主義を守るため、ウクライナ軍に支援を!
©大判例